【*2015/06】


by kfushiya
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↑ミクロの推移が美しい。蚕が糸を紡ぐのをルーペで見るような、局部拡大の充実がある。


先日、家の近くの本屋で団鬼六の本を持ってレジへ行ったところ、純朴そうなアルバイト学生の男の子が密かにしげしげとこちらの顔を見てきた。「このおばさんそういう趣味持ってんのかよ」と目が問うている。ほとんど漫画に近いノリに過ぎないんすけど、こっちは(男友だちに話したら、女ならそういう本はせめて家から離れたとこで買えということだ)。まあ、勝手に軽蔑でもしてくれ。そのくらいでいいのだ。学生のころから百戦錬磨のヤリ手なんて、将来ロクな奴になりませんぞ。などと、よくわからん知識欲のみでひたすら意味不明だった自分の若年時代を思い出しつつ。

執着の対象が何であれ、細部へのマクロ意識はめくるめく美の源泉であったりもするわけで。Achim Kaufmann Trioの2008年作品もしかり。派手な要素は全くない。しかし、ジレながら進む単純な単音の指さばきがみしみしと寄せてくる。音が切れ切れになればなるほど、琴線へ迫りくる。蜘蛛の巣に絡め取られてゆくクリスタルの透明度、不穏に濁りを増してゆくさまが良い。シャドウイングしつつピアノのサウンドにねっとりとした影を落としてゆくJim BlackのドラムとValdi Kolliのベースが絶好のイントロであるブルージーな1.Lijanje。一瞬セロニアス・モンクを彷彿とさせながらも、すれすれのところでヨーロッパ的な心象風景へとすり抜けるピアノ・ソロ、2.のSlow Roundabout。19世紀のベルギーの画家・James Ensor(ジェイムス・アンソール)に想を得たという3.Ensormauqueは、やはり明瞭ではない曳き気味の音色が印象派的に滲みをを醸す。Jim Blackのドラムとリズミックな類似性で噛むところでは、「色彩は強烈でも結果としてボケている」という絵画らしい視覚性を刻む。ダブル・ベースは楽器自体の短所とも受け取れる乾音のはじきを巧妙にサウンドの隙間へ滑りこませる。互いのボディ同志のノイズも含め、ピアノとべースによるみっしりとした凹凸のなかを、綿密にパースの効いた怜悧なドラムが推進してゆく4.Dewy Redman。ピアノの暑苦しくも縺れたタッチはタイトル通り、2006に物故したサックス奏者の音色へのオマージュか。オマージュというかリスペクトは次の5.Misha Antlersへも持ち込まれる。言わずと知れたMisha Mengelbergである。Achim Kaufmannはアムステルダムに長く、メンゲルベルグに指導を受けている(アムスに住んだジャズピアニストで彼の影響を受けない者などいないが)。このあたりで「サウンドの構築性」へ挑むといった、少々紋切型のスタイルが透けて見えなくもない。リズムというストラクチャー、その範囲内で音がいかに作用し合うか、に自然注意は向けられるのだ。ベースの単調なリフレインもサブリミナル効果大。低音のピアノのリフが不穏に舞う6. Scarineでは、右手と左手は全く分離した世界を現出。一見右手が担うアルペジオやメロディが目立つが、実はそれは効果音に過ぎない。ポイントで穿たれるプリペアドのオクターヴ音が、音楽全体にパリッとした糊を効かせる。フィヨルドの微かな地殻変動のごとき水面下の衝突がクールかつ幻想的なピアノ・ソロ。緩急のメリハリも効いたフリー・フォームのトリオ編成のなかで、敢えて控え目なリリシズムを保つことによって音響自体のスライド感を見事に炙り出した7.IMBOと8.DOROBO。ソロ・インプロ部分も押しつけがましさ皆無。シンプルで静謐なピアノのパッセージは、あまりにも自然に立ち昇るが故に、ただ「美しい」という感想と余韻以外持ちえない。ソロ・インプロの貫録としてはそれで充分なのだ。次の9.Blue-BrailedとラストのStanley Parkに至っても、ピアノの透明度は増してくるのだが、抑制の効いたドラムとベースが訥々と語り続けるさまにチェンバー・ミュージック的なアンビエントが光る。伝統的な一方でどこか新しい。地味派手。音量はぐっと抑えられ、練られたコンポジションの屋台骨がすっきりと浮き立つ。こんなに大人しいJim Blackは初めて聴いたが、ずば抜けた瞬発力はどんなに微音でも健在だ。

"Kyrill"とは、2007年初頭に中央ヨーロッパを襲った台風の名称。台風の暴威はどこにも感じられなく、むしろ台風の目の不気味さをつぶさに描いたとでもいおうか。ドイツ・アメリカ・アイスランド、というメンバーの出自のバラエティも、アムステルダムの「唯一の法則、自由のみ」という雰囲気のなかで一旦据え置かれ、霧消している感あり。そうした緩さも音間に潜む。ちなみにこのトリオの新作は7月末に発売される。
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by kfushiya | 2011-06-22 00:54 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)
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↑収録曲は1.Smaragd 2.Kahki 3.Reed 4.Pigment 5.Cadmium 6.Signal 7.Ur 8.Loden
の8曲。2009年4月、ケルンのLoft録音。エンジニアはChristian Heck。


夜中に多国語を一気に連続して翻訳してからクラシックの原稿を書き、そのまま昼間は鬱屈した気分のまま長時間お勤めするという日々を送っていたのでさすがにこの一週間は体力的にきついものがあった。もう若くはないのだから。この昼どうにかしないとなあ。頭に一筋の煙をくゆらすように、このところシャンソンのアルバムばかりを聴いている。ゲンズブールやバルバラ、グレコなど。たまに挟み込むのはとあるミュージシャンに以前いただいたアーチー・シェップの"For Losers"。最高ですね、この作品。ここは日本なのだからとあんまり感情を出すのはやめよう、とはわかっていても数か月に一度擦り切れるときがあり。新たな出会いを持ったとて最終的には鼻つまみ者で終わることが多いのだから、環境を変えても同じことだな、とか同じ結果へ向けて一から布石を打ちなおすのもめんどくさいよなあ、とか苦笑しつつ時間ばかりが猛烈な勢いで過ぎてゆく。自分のキャラは今更治りようがないのだからこれでゆくしかないのだ、と妙に明るい確信へと結局は至るのだが。

さておいて、やっと届いたAchim Kaufmann(アキム・カウフマン)のトリオ作品。アキム・カウフマンといえば『Double Exposure』、というくらいこLeoから出ているクァルテット・アルバムは大好きな一枚だ。あまりにも好みのピアノなので、初めて聴いたときも以前どこかで接したことがあるかのような既聴感を覚えたほどだ。アキム・カウフマンはケルン~アムステルダム・シーンで活躍しており、ずっとアムスに住んでいるものと思っていたが、数年前よりベルリンへ居を移したらしい。ということは、『Double Exposure』のメンツのうち、Michael Mooreを除いた全員がベルリンに住んでいるということになる。楽しそうだなあ。そういう訳で、この『Gruenen』のトリオ編成も、Christian Lillinger というベルリンシーンの若手で抜きん出た才能を見せる第一級のドラマーを得て非常にヴィヴィッドかつ腰の据わった仕上がりとなっている。Lillingerが1984年生まれ、ダブルベースのRobert Landfermannは1982年生まれというから如何にも若いメンバーである。演奏は歳を感じさせない老練なものではあるが、アルバムが進むにつれて兄貴分的にKaufmannが若手2人の影に回って存分に2人を暴れさせている様子も頼もしいものがある。

アキム・カウフマンのピアノの魅力は、何と言ってもその音色である。リリカルで気品に溢れているが、近寄り難いのではなく、すっとこちらに馴染んでくる外壁のなさ。アルバムタイトルは『グリーン』だし、ジャケもどことなくファンシーだが、中身はそんな安易な予想に添うものではない。見事に鳴らし切られる88鍵。使い切られるそのソノリティ。インプロヴィぜーションでもはや常套手段となったプリペアド奏法は最小限度に抑えられ、あくまでサウンドの一部として自然に融和するように収まる。ピアノ線が鍵盤より前にしゃしゃり出ることはなく、88鍵のサウンドを豊穣に肉付けし、その魅力をヴァイヴする。ピアノの魅力が細部まで立体的に積み重なった緩急/弱強も自在な計8曲収録。単音がシフトするしたたるような連打から始まる1.Samaragd。ピアノはコードとアルペジオとなって波及力を増してゆくが、Lillingerのドラムもそれに呼応するようにドラムセットの各部を小刻みに震動させながらサウンドの太い幹を打ち立ててゆく。シンバルからハイハット、スネアと高音から下降してゆき、バスドラに至ったや否や、その音が乾き切っているので肩すかしを食う。地鳴りとして落ちるべきところが逆にドライに突き上げてくるので、それが逆に衝撃だ。水鉄砲を顔に食らった気分に近い。中盤に差し掛かってピアノと組んでじりじりとした焦燥を醸し出す、その音質はほとんど木魚。スティック、手による寸止め、ブラシ、鈴等、さまざまな触手が弾丸となって降り注ぐ。まあ、終始ほとんど鳴りっぱなし(Gunter Baby Sommerの愛弟子だけあって、即興における毒の盛り方の何たるやを心得ているが)。新鮮味とともに違和感を覚えたのが、ダブルベースの在り方だ。ラントフェルマンの弦はじきは音楽全体に大きな粘着質と弾みをもたらしていることは間違いないのだが、ドラムとピアノが強音で全開となっているときに絡んでくると、時たま煩わしく感じるのである。音が多すぎる。というか、そもそも「トリオ編成」というものはかくあるものだったのだろうが、昨今「ベースレス・スタイル」に聴き手の耳が慣らされてしまった影響なのだろうか。あまりに充実している、こいつほんとに20代かよ・・・とか思いつつ2曲目へ移行してハタと気付くのが、ピアノは打楽器であることに徹しているのだな、ということ。カウフマンのサウンドの波及は完全に縦方向だ。ツインドラム編成に近いノリなのかもしれない。ドラムとピアノのポキポキとした断続音に、唯一横のラインで滑りこんでくるのがベースで、その弧を描くかのような重音含みの侵入はなかなかにエキセントリック。サウンド全体の最低音を担う苦渋に満ちた迫力のベースライン、それにバスドラ、全鍵を駆使するピアノのトレモロが加わる攻め上げはさすが男3人のスタミナ。どんなに爆音になっても決して野卑にならぬところも素晴らしい。個人的には5. Cadmiumと6.Signalで色濃く見せた、コードの音の曳きが鋭角性を保持したまま折り重なってゆくピアノがとても好きだが、どの楽器に注目して聴くかで全く違った世界が開けてくるだろう。どこを切り取っても高密度という、瞬間にこだわり出したらエンドレスに聴き続けることになりかねないアルバム。Kaufmannのコンポーザーとしての明晰な頭脳、成熟したピアニズム、楽器を隅々まで熟知しヴィヴィッドな音色で歌わせる統率力。ジャンルによらずピアノ好きを満足させるに違いない。

現在Achim KaufmannはJuergen Friedrich(ユルゲン・フリードリヒ)率いる"Monosuite"のメンバーとしてツアー中のようだが、メンツがHayden Chisholm、John Herbert、John Hollenbeckにストリング・オーケストラ付きというからすごい。聴いてみたいものだ。
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by kfushiya | 2011-06-18 16:41 | ベルリン/音楽 | Comments(0)