【*2015/06】


by kfushiya
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

カテゴリ:音楽と日々雑感( 21 )

c0206731_17512028.jpg



Reviews on Jazztokyo


New45.Anne Hartkamp & Thomas Rueckert:Dear Bill(November)
http://www.jazztokyo.com/five/five1262.html

44.Jeff Denson Trio+Lee Konitz(October)
http://jazztokyo.com/five/five1257.html

43.Fumiharu Sumitomo:Oratio 2-recital 2014-(October)
http://jazztokyo.com/five/five1258.html

42.Thomas Rueckert Trio:Parvaneh
http://www.jazztokyo.com/five/five1227.html

41.Johanna Schneider Quartet : Pridetime
http://www.jazztokyo.com/five/five1226.html

40.Christophe Schweizer’s Young , Rich, and Famous
http://www.jazztokyo.com/five/five1210.html

39.Samuel Blaser Quartet:Spring Rain
http://www.jazztokyo.com/five/five1209.html

38.Michel Reis Quartet: Capturing This Moment
http://www.jazztokyo.com/five/five1193.html

37.Meeco: Souvenir of Love
http://www.jazztokyo.com/five/five1191.html

36.Gebhard Ulmann: Hat and Shoes
http://www.jazztokyo.com/five/five1192.html

35.Rolf Kuehn; Timeless Circle
http://www.jazztokyo.com/five/five1157.html

34.Christoph Irniger Trio; Gowanus Canal
http://www.jazztokyo.com/five/five1151.html

33.Jeff Denson & Joshua White
http://www.jazztokyo.com/five/five1136.html

32.Peter van Huffel’s Gorilla Mask: Bite My Blues
http://www.jazztokyo.com/five/five1117.html

31.House of Mirrors: Act One
http://www.jazztokyo.com/five/five1118.html

30.Hans Luedmann’s Trio Ivoir: Timbuktu
http://www.jazztokyo.com/five/five1116.html

29.Andreas Kurz Quartet: Caught into Something Turning
http://www.jazztokyo.com/five/five1107.html

28.Donau Wellenreiter: Messei
http://www.jazztokyo.com/five/five1108.html

27.Michael Bates-Samuel Blaser Quintet: One from None
http://www.jazztokyo.com/five/five992.html

26.Michel Reis: Hidden Meaning
http://www.jazztokyo.com/five/five986.html

25.Timcin Sahin Quintet:Inherence
http://www.jazztokyo.com/five/five976.html

24.Samuel Blaser Quartet; As the Sea
http://www.jazztokyo.com/five/five971.html

23.NoReduce; Jaywalkin’
http://www.jazztokyo.com/five/five969.html

22.Jazz非常階段 featuring 坂田明;Made in Studio
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2012a/cd2012a.html

21.Nils Wogram Septet; Complete Soul
http://www.jazztokyo.com/five/five945.html

20.Jeff Denson; Secret World
http://www.jazztokyo.com/five/five915.html

19.Ran Blake & Sara Serpa; Aurora
http://www.jazztokyo.com/five/five955.html

18.Peter Van Huffel’s Gorilla Mask; Howl!
http://www.jazztokyo.com/five/five951.html

17.Pão (Tiago Sousa/Pedro Sousa/Travassos); Pão
http://www.jazztokyo.com/five/five939.html

16.Filipe Felizardo; Guitar Soli for the Moa and the Frog
http://www.jazztokyo.com/five/five933.html

15.Henri Barda; 2008年東京ライヴ
http://www.jazztokyo.com/five/five932.html

14.Dislocation; Mud Layer Cake
http://www.jazztokyo.com/five/five926b.html

13.小山彰太/南野梓/谷村武彦/柳川ホウメイ/イトウカズヒト; 悪くない
http://www.jazztokyo.com/five/five926a.html

12.Simon Nabatov Solo; Spinning Songs of Herbie Nichols
http://www.jazztokyo.com/five/five923.html

11.Sunna Gunnlaugs; Long Pair Bond
http://www.jazztokyo.com/five/five913.html

10.Andreas Schmidt; Hommage à Tristano; Pieces for a Husky Puzzle
http://www.jazztokyo.com/five/five907.html

9.Sara Serpa Quintet; Mobile
http://www.jazztokyo.com/five/five904.html

8.Ivo Perelman; Family Ties
http://www.jazztokyo.com/five/five892.html

7.Dan Tepfer; Goldberg Variation
http://www.jazztokyo.com/five/five873.html

6.Samuel Blaser; Confort in Motion
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2011b/best_cd_2011_inter_01.html

5.航-小窓の王;Tension
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2011a/best_cd_2011_local_01.html

4.Ochsenbauer meets Sokal; Bass Plaer’s Delight
http://www.jazztokyo.com/five/five817.html

3.Gianni Gebbia & Diego Spitaleri; The Melody Book
http://www.jazztokyo.com/five/five806.html

2.Nils Wogram & ROOT 70; Listen to Your Woman
http://www.jazztokyo.com/five/five768.html

1.Nils Wogram & Simon Nabatov; Moods & Modes
http://www.jazztokyo.com/five/five769.html
[PR]
by kfushiya | 2015-10-14 07:00 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)
c0206731_20134543.jpg

先日偶然訪れる機会のあった千葉在住の某画伯がマイスキーの大ファンでLPがアトリエでも流れていた。そういえば父マイスキーのほうは生で聴いたことがないなあ、と思っていたところへのこの機会。せっかくなので早々に感想をアップする(web時代に則りまして)。昨年、アルメニア生まれの若き鬼才、ラチャ・アヴァネシアンのヴァイオリン聴いた折に相方を務めていたのがリリー・マイスキーで、演奏能力より何よりまずその卓越したパフォーマンス力に感嘆を覚えたものだ。舞台女優に匹敵するような成熟したオーラは生来のものであるといえるだろう。

さて、今回は偉大な父親との父娘デュオ、さぞかし息のあった演奏であろうとは想像がついた。ミッシャほどの大家となれば、やはりコンサートのタイトルはデュオという表記ではなくて「ミッシャ・マイスキーチェロ・リサイタル」となるが、今回もラチャの時と同様、チェロとピアノは分かちがたい不可分なウエイトで終止一貫。プログラムはシューベルトから始まり、ドビュッシー、シューマン、ブリテンで〆るというもの。全体的に楽曲間のみならず楽章間の性格対比がくっきりとした選曲であるが、あまりエスニックではない曲想でのほうがふたりの美点がシンプルに全面へ押し出されていたように思われた。

冒頭のアルペジオーネ・ソナタでは、まだ楽器の鳴りが充分ではなく、少々会場が大きすぎたのではないかと懸念したが、それは徐々に解消されていった。むしろリリー・マイスキーの、あえて音の核心を外堀から埋めていくかのような絶妙な間合いのピアノが、聴き手の想像力を次へ次へと急き立てる。そのピアノの雲をもつかむ、というか、とらえどころのなさは甚だシューベルト的であり、魔性でもある。ミッシャはピッツィカートの部分になるとミュートがかかったようにチェロの声色が一変し、そこで一旦堰き止められたエネルギーが次に本流となって怒涛のごとく流れ出るギア・チェンジの瞬間がみごと。アダージョで聴かせた貫禄たっぷりの叙情性はシンプルかつ至高の音色として聴く者の心をぐさりと抉る。リリーの、微妙なテンポのずらしは音と音との間を幾層にも豊かにするが、逆にソロ・ピアノの場合こういうピアニストは如何なるものだろうかと興味をそそられた(室内楽ピアニストとしてはピカイチである)。

この日の白眉がドビュッシーのチェロ・ソナタ。ピアノの導入部が楽曲全体の雰囲気作りの鍵を握る作品であるが、ここでもリリーのピアノの音色がすこぶる的を得ている。鏡のように硬質で清澄でありながらどこまでも深い音色は、チェロの音の伸びを一層引き立たせる。第2楽章のセレナーデはスパニッシュ・ギターを彷彿とさせる金属質の音造りであるが、チェロから引き出される表情の多様性はかくも豊かかと瞠目する。目をつぶって聴けば、誰もが一瞬ギターと信じて疑わないだろう。フランス音楽特有の香気に、多彩な音色の乱反射がヴェールにくるまれるように響きの次元でふわりとひとつにまとまる姿が特筆もの。

後半のシューマンとブリテンに至っては、楽器自体の鳴りの良さも手伝って、安定した秀演を堪能できた。シューマンの「民謡風5つの小品集」は、クララ・シューマンを想定して作曲された曲だけあって、やはりピアノパートに関心が向いてしまう。夢想的で儚げなニュアンスの演出には前述したように天性のものを感じるリリーだが、若さゆえか揺るがぬ個性というところまでは至っていない。ミッシャのチェロに関しては、シンプルになればなるほど重音で強調されて二重張りにされるメロディライン。聴かせどころをこれでもかと野太く押してくるあたりにいい意味でのスターのふてぶてしさを感じる。朗々と歌ごころが提示されるほどにチェロはベースラインのような役目に回り、それらにピアノが纏わりつき音楽が肉づけされるのだ。阿吽の呼吸の補完関係は、チェロが倍音へ抜けるときもひじょうに自然な空気感を生む。ブリテンでは一転、特殊奏法を駆使した精巧な楽曲造りが奏者ふたりの基礎体力の高さを露わに。豊富な音色のパレットは、乖離と凝集のコントラストも鮮やかなパッションの激しさとも相俟って、ときに視覚的なニュアンスをも生み出していた。第3楽章エレジアでの、骨を削るようなシビアな音圧の運弓、ノイジーなチェロとハープのごときピアノが駆け抜ける第4楽章マルチア、ピッツィカートと連打が生む点描のごときフィナーレのモルト・ベルベトゥオ。ふと目の前に壮大な景色が広がるような錯覚におそわれた(冒頭でふれた画伯をひきつけるのも視聴覚合一のこの眩暈か)。余談だが、女性ではなく男性が前半と後半で衣替えするコンサートも初。自身の魅力とステージ映えを充分に認識しての演出であろう。スター父娘のオーラ溢れる一夜。

«プログラム»
シューベルト;アルペジョーネ・ソナタイ短調D.821
ドビュッシー;チェロ・ソナタニ短調
シューマン;民謡風の5つの小品集op.102
ブリテン;チェロ・ソナタハ長調op.65

*アンコール
鳥の歌(カタルーニャ民謡)〜アルベニス風に(シチェドリン)

«出演»
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
リリー・マイスキー(ピアノ)
主催: AMATI
[PR]
by kfushiya | 2013-12-04 20:16 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)
c0206731_16381.jpg


以前フランスのピアニスト、アンリ・バルダ(Henri Barda)のディスクコンサート・レヴューを書いたことがご縁で、ピアニストの秦はるひさんがバルダの伝記『アンリ・バルダ〜神秘のピアニスト』(青柳いづみこ著/白水社刊)を送ってくださったのが一ヶ月ほど前。その間仕事なりなんなりでバタバタしており、ようやく師走も近くなって拝読中だがこれがなかなかおもしろい。バルダの、あの思い切りのよい大胆な解釈の演奏、ユーモアたっぷりのステージングからは想像もつかぬほど、本番前後はなだめようもないくらいナーヴァスになるのだそうだ。その一筋縄ではいかぬ気難しい性格をなだめすかしつつ時にその才能に心の底から感嘆しつつ、いかに一冊の伝記が出来上がっていったかが、彼の人生とともにそのままビシバシと伝わってくる青柳氏の筆致にあいも変わらず感服。バルダの演奏にはじめて触れたときの衝撃は忘れられない。ジャズ・ピアニストに通底するようなグルーヴやダイナミズムが、今日びのその筋の方々よりはるかに濃厚に根源から湧き出ていたからである。並のジャズ・ピアニストを聴くよりよほどスリリング、というのが正直なところだ。大筋の自分の感想と、著者の青柳氏の評とが当たらずしも遠からずのところが多かったので、さほど頓珍漢でもなかったのだな、とほっと胸を撫でおろしたり。しかしながら、秦はるひ氏がその実現に向けて奔走したという2008年のアルバム『紀尾井ホールライヴ』、伝記のなかでも触れられているとおり、フランス本国でもその評はショパンについてばかりで、併録されているブラームスの演奏については書いてないものばかりだ、という青柳氏の見解にはぎくり。自分も、ついグランド・スタイル的なショパンにばかり気をとられてしまったな、と。

さておいて、アンリ・バルダの凄さを言葉であらわそうとすると、どうしてもすり抜けてしまうものがあるが、その捉えどころのない壮絶さを巧く絡めとった表現に著書も大詰めになって出会った。以下引用させていただくと;

・・・もしかしたら、バルダの自虐趣味こそが彼をピュアなまま保たせているのかもしれない、と。聴衆を感動させたことを認識させてしまったら、次回からは感動を演出するようにもなるだろう。こうすれば人は感動してくれる・・・ノウハウを知ってしまうと、無意識のうちにセルフコピーを始める。そのくらいなら、客席の感動を察知しないほうほうがよほどいい。・・・(同著 p.238)


音と音との間がもっとも重要であるとするバルダの音楽、"音の隙間を筋肉で埋める" バレエのピアニストとしての経験が小さくはない位置をしめるというその経歴。彼の音楽が突き付ける、ジャンル云々を超えた一回性の衝撃(単純に即興という単語では括れない)の鍵がこのあたりにあるような気がした。
[PR]
by kfushiya | 2013-12-01 20:03 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)

舘野泉氏新刊本

c0206731_21351884.jpg

↑六耀社のHPより転載させていただきました


急激に季節は秋となり、感覚が研ぎ澄まされる時期を迎えました。こちらは日々に忙殺されつつも、ふと立ち止まって自分の来し方や人との出会い、音楽との関わりを考えることもおおく。先日は20年も人生を共にした実家の愛猫が亡くなり、最後を看取ることもできなかったのが心のこりだ。おもえば2人の祖母を亡くしたときも、東京にいたりドイツにいたりで立ち会えなかった。愛猫は、最後の最後まで立ち上がろうともがき、立派だったという。大切な存在の死をきちんと見届けることなく看過してしまう人生なぞ、なにか欠陥をうむのではないか、うすっぺらぺらの情のうすい人間になってしまうような危機感すらおぼえる。

さて、六耀(りくよう)社から出版される舘野泉『生きる力』に、5月に書いた「左手の音楽祭」評が掲載されることになった。「ソリストの思考術シリーズ」の第8巻にあたり、出版社の創立40周年記念の企画出版とも重なる力作。舘野氏は2002年、デビュー40周年記念リサイタルの演奏中に脳卒中で倒れ、以後右半身不髄となった。右手が使えなくなるという、ピアニストにとっては誰もが絶望を禁じ得ない状況のなか、現在は「左手」のみで演奏活動を続ける新生・舘野泉としてカムバックされ、世界でも唯一無二の活動を展開されている。ここに至るまで、計り知れないほど壮絶な自己との闘いがあったことだろう。氏の演奏に巡り会えたことに幸運におもうし、私の評などを著書に収めていただいたことに恐縮と光栄をとおりこした何とも言えぬ空恐ろしげな心地です。

みなさん是非お手にとってご覧ください。
[PR]
by kfushiya | 2013-10-25 21:37 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)
c0206731_1535058.jpg

↑サミュエルと初対面

画廊で仕事をはじめてから出張やらなにやらで音楽生活からおさらばしていましたが、批評を継続的に書かせていただいていたサミュエル・ブレーザーが来日するのだけは見逃せない、是が非でも生音を聴かなければ、とはおもえど直前まで香港出張、サミュエルのスケジュールもよくわからず、という感じで半ばあきらめていたもののどうにか最終日のディスクユニオン・インストア・ライヴには間に合いました。マネージャーの内田泉さんとも初対面で楽しいひとときをすごした。

さて、インストア・ライヴということで、規模は通常のライヴよりもさらに小さいわけですが、そのぶん至近距離、ディスクからも否応なく押し寄せてくるあの途轍もないグルーヴを体感できた。サミュエルは完全なアコースティック主義、楽器本体以外ではプランジャーを用いる程度だが(時にエレクトリック顔負けのノイズも浮かび上がらせるから不思議だ)、変幻自在な音の伸縮は見事の一言。トロンボーンという楽器からはじき出された音はあたかもひとり歩きをしているようで、滞空時間がとてもながい(少なくともそう感じられる)。空気への音の溶け込みが抜群だ。
「音浴」の感覚が、最初の一音が始まってこのかた最後の一響が消え去るまで持続する、という聴覚体験はそうあるものではない。包容力という言葉で表現しきれぬほどの膨大なストックが彼の音楽には自然に備わっている。古典から現代、オーソドキシーから前衛に至るまでの汲みども尽きぬ音楽の脈流が、たまたまコンテンポラリー・ジャズという切り口で発露されているにすぎない---そんなユーモラスな想像力まで掻き立ててくれる。考えてみれば先進的なジャズが何もエッジィである必要はなく、日頃われわれが、いかに刹那的なインパクトを刻むものばかりに慣らされているかと意表を突かれた。サミュエルの音楽が刻む衝撃はもっと深い。例えば古典を現代に蘇らせる場合でも、これみよがしに「世代的なノリ」に逃れることもなく、時空を超えたおおきなプロットが失われることはない。本物の迫力かくありき。

偉大な音楽空間にどっぷりはまってトリップしているようなアドヴェンチュアラスな感覚は、サミュエルの音楽がもつ強力な独自性であり、競合がいない。ゆえにライヴを展開する上で(とくにツアーなど)編成のむづかしさにもつながるかもしれない。彼の音楽性をとくと味わえるのはソロか、チェンバー・ミュージック的な趣向---縦ノリではなく響きのラインを活かせる編成や構成が最適だろう。

・・・久々に文章を書いたので疲弊した。ちょくちょく執筆のお話もあるが落ち着いたら考えていこうとおもう。サミュエルを筆頭に、Izumi Productionにはピカ一の実力を誇るアーティストが所属していますので、みなさん是非チェックしてください。
http://www.reverbnation.com/label/izumiproductions
[PR]
by kfushiya | 2013-10-19 20:30 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)

Jeff Densonがすごい。

c0206731_0511762.jpg

↑詳しくはizumi productionのhpを。

何だか体内時計がおかしくなっており、変な時間にハイテンションに見舞われております。
さておいて、このところずっとヘビロテなのがN.Y.在住のダブルベース奏者・Jeff Denson(ジェフ・デンソン)の新作『Secret World』(between the lines)。日本盤は6月か7月に発売とのことです。

詳しくは別口でレヴューする予定ですが、ここまでメロディに溢れていながらコンポジションも緻密、リズムの畳み掛けと渾然となってアルバムの最初から最後までたゆまずに攻めてくるアルバムは稀少といえそう。抜粋で誰かを語るのが困難を極めるほどの、各プレーヤーの隙のない巧さ。パーソネルはほかに、Ralph Alessi(tp)、Florian Weber(p)、Dan Weiss(ds)によるクァルテット編成、完全アコースティック。全員この上なく研ぎ澄まされた音色を出す。例外なく全曲好きです。

まず一旦聴いたら耳から離れぬ浸透率抜群のメロディ性。ライナーによれば移ろいゆく自然などへの共感という、インスピレーションの源としては正統すぎるほど正統ではあるのだが、美学的でアブストラクト、といった造りこんだ乖離がない。すっと体に馴染む。2曲だけヴォーカルとスキャットが入るが、この声は一瞬女性ヴォーカルかと思うのだが、ベーシスト本人に拠る。このアンドロジーナス的な声質がアルバム全体に及ぼす効果は大きい。Densonの声の豊かさは楽器がツールとなっても同様。伸びの少ないコントラバスを、チェロのような柔らかで扇情的な表情で豊かにたゆませる。斜めから斬り込んでくるかのチェロ的アプローチが音楽の蛇行感をさらに増幅(トランペットと限りなく近似値の音を出している曲もある)。あとはやはり、変拍子で巧みに切り替わる、音風景の多彩さか。あたかも車窓にいるかのように、動きつづける現実と感情の混淆した漂流を味わえる。

ピアノファンの自分にとっては、Florian Weberのピアノがすこぶる気に入ったのだが、個々のプレーヤーについては後の機会にゆずる。しかし、各人の剛腕をこれだけ際立たせながら、いかなる瞬間もDensonの存在感が薄れることがないのもすごい。版元のレーベルがいかなるカラーであろうとも、ジェフはジェフであり続けるだろう-----柔らかながらもそう確信させる、強靭な音楽だ。

今週はいよいよFOOD+巻上公一公演(横浜)。
[PR]
by kfushiya | 2012-04-17 01:00 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)

Food “Quiet Inlet”(ECM;2010)

c0206731_22231686.jpg

ECM;2163


来月イアン・バラミーとトーマス・ストレーネンによるユニット”FOOD”が来日するので楽しみだ。巻上公一氏のご指名で、名古屋TOKUZO公演のフライヤ紹介文を書かせていただいた。今回の公演ではこのユニットに、巻上公一、ニルス・ペッテル・モルヴァルが参画するが、ほかにも日本のさまざまなミュージシャンが共演するようだ。本当は観光も兼ねて名古屋に行きたいのだが、日程的に許さなそうなので横浜のBankArt公演かな、自分が行くのは。

てなわけで、ECMより出ている最新作の"Quiet Inlet”(2010)を引っぱり出して聴く。計7曲収録されているが、ゲストはクリスチァン・フェネシュとモルヴァルのふたりで、一曲目からほぼ交互に参加する。独特の閑寂の気配が全体を通して支配するのはECMだから当然といいえば当然であるけれど(タイトルからも)、やはり聴くほうにかなりの集中力を課す、というか無言で圧力をかけてくるような凄みがあるのは奏者とクルー両サイドの熟練の賜物だろう。実際、注意力散漫な状態であったり、音質の悪いオーディオ環境で聴いたりすれば、かなり遠くからの不可思議な音群、といった捉えどころのない印象を生みかねない。それくらい空間のおおい音楽であり、だからこそライヴで聴いてこそ素晴らしいと思わせる。しかし、こちらが集中していればいるほど、無限の奥行に捉えられ、濃厚な音の広がりや残存に足もとを掬われる。FOODは、とても自由なユニットで、毎回多様なゲスト・プレーヤーにも開かれている世界なのだろうが、突き抜け感と同時に音が積み重なってゆく考え抜かれた緻密さと計算高さがあり、その矛盾が聴く者の感覚を引きちぎる。人工的であるはずのエレクトロニクスは、ストレーネン、モルヴァル、フェネシュの3人が用いてはいるが、ノイジーな瞬間はあまりなく大人しめ。あくまで肉体によって制御されている感が失われておらず、だからこそリード楽器も映え渡る。フェネシュを聴くのは、実はいつだったかの『Nine Horses』以来なのだけれど、浮き沈みのバランスが相変わらず何ともいえない。いわゆるギターらしい音は終盤以外はあまり感知されないが(7曲目Fathomで溜めていたものが一気に花開く感じがいい)、いかなる形状でも独特のポエジーが絶えず滲みでているという。フォームを超えているのだ。個人的には、ニルス・ペッテル・モルヴァルが入ったときに生まれる、とたんに空間がぐわんと歪んでいきなり大きな距離を跨いだ感覚が生じるところが好きだ(録音技術抜きにしても)。やわらかな息吹だが、一瞬にして遠方までを凍らす怜悧な質感が張り巡らされる。バラミーとモルヴァルのリードによる掛け合いは、中東っぽさを感じさせながらも、どこか臭みが抜け切った牧歌的で瞑想的な境地であり、それは人造的な理想郷みたいなものには違いないのだろうが、そうした行き先不明のノスタルジーこそが音楽の醍醐味でもあるわけで。同じ時期に来日するThe Necksのトニー・バックにしても、現代のすぐれたドラマーというのは本当にいろいろ出来るもんだなあ、とトーマス・ストレーネンの確固としたヴィジョン抽出力にも感服することしきり。

気分はすっかり4月なのだが、まだ3月なんだよなあ。25日は父親の77歳の誕生日を祝うべく(ついでに数日後に控えた数えたくもない自分の37回目の生誕の日をいっしょくたにし)実家へ日帰りするが、このところの体調の悪さを考えると夜行バスは気が重いなあ、やはり。父が健在なことには感謝することしきりだが、自分も歳を食うわけだ、とふと身に沁みる春分の日。
[PR]
by kfushiya | 2012-03-20 22:24 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)
c0206731_12293047.jpg

アンソニー・ドーアの『メモリー・ウォール』という小説をたまたま読んでいるのですが、それと軌を一にしたわけでもあるまいに、連続して物を落としたり紛失したり(しかも大事な想い出の品ばかり)、自分の記憶や行動が全く信用できなくなる日々を送っていましたが、昨夜は気をとりなおして『三人のピアニスト』というライヴを鑑賞。場所は、普段クラシックのサロンコンサートがおこなわれているという赤坂のカーザ・クラシカ。やたらとイタリア料理屋が多い一ツ木通りを直進していくと、雑居ビルの地下にひっそりとあるお店。店内が狭いこともあり、設置ピアノはヤマハのC2と小柄だったものの、猛烈な迫力の音響でした。以下、少々感想を。


この企画は航に拠るもので、彼女に近しいピアニストである本間太郎、そしてベルリンから一時帰国したばかりの藤井郷子、という剛腕ピアニストによるそれぞれのソロ三連発。各セットはほぼ45分づつといったところ。

トップバッターは航。航のピアノでいつも思うのは鍵盤の表面の手触りが顕著に聴き手にまで伝わってくることで、一音一音がマルカート的に印象に刻みつけられる。思えば、ライヴで聴くときはいつもデュオ編成でエレピだったので、生ピアノでしかもソロはこれが初めてか。パーカッションが入っていなくとも、打鍵のヴァリエーションで僅かな隙間もコントロールされてゆく、その推移が実に鮮やか。それは例えば、同形反復のときにリズムと色彩がブレンドされて唐突な窪みが現れたり(2曲目「火の粉」)、鉛のような強靭さで打ち降ろされる第一音からひと筆書きに余力で描かれるパッセージ(3曲目「蜘蛛と蝶」)の浮遊感など、絵画に喩えれば水性アクリル画のようなライトさと見通しの良さがある。曲順もよく、声とピアノの音質を合わせた静かなチューンから、演劇的なパースペクティヴの「ペテン師△♯18」、ブルージーな低音の「山頭火」と、メリハリが効いている。最初と最後のチューンを日本的な景色を彷彿とさせる曲調のものでまとめていたのも、メビウスの輪ならぬ潮の満ち引きのようで物語性豊か。

セカンドセットは本間太郎。「天国」というバンドで活躍しているが、植村昌弘「MUMU」のキーボーディストでもある。「天国」は一度聴いたことがあるが、そのときは出演バンドが異様に多かったこともありあまり記憶に残っていなかった。が、今回聴いて凄いピアニストであると実感。まずその正確無比な打鍵。音の絞り。スピード感。と来れば、誰かを聴いたときの感慨に近い------そう、植村昌弘のドラムに近い境地をピアノで実現している人だなあと(ピアノも究極打楽器ですが)。このピアニスト自身がもつ音色がとても豊かで深く伸びがあるため、ペダルはほとんど不要ではないかと思われる。地声ならぬ地音(?)が幾次元にも渡る音の広がりをもっているため、本人は意識してなのか無意識なのか常に複数の効果が上がっている。聴くほうも飽きがこない。流麗なアルペジオの波のなかにハッとするような金属質が紛れ込んだり、楽器の原理を抱き込んだ、ピアニスト自身のテクニックと楽器との歯車の良さに終始魅せられた。とりわけこの人の左手はゴッドハンドといえるほどの能力。最後に弾いたジョルジュ・シフラ風「火祭りの踊り」では一気に余韻やぺダリングの妙を凝らした演出で、エレピと見紛うようなビリビリ音を叩き出す瞬間もあった。

そしてトリは藤井郷子。いつもながらの強靭な音宇宙で、女性的とも男性的ともいえない凛としたたたずまいがある。ポリフォニックな音は「ピアノはオーケストラにも喩えられる」などという使い古された表現を引き合いに出すべくもなく。ユニゾンですら丸みを帯びた柔軟性に富み、不協和音的な箇所も緊迫や威圧感としては感じられない。自然の帰結たる盛り上がりなれど、予定不調和な立体をなす音楽こそ藤井郷子の凄いところか。プリペアドを使った一曲では、鈍い青銅の鐘の音からガムランまでを感じさせる、各部が自由に歩行しつつも不思議な対話を繰り広げるものだった。


終演後に田村夏樹氏からベルリンの話を伺ったり、客席も悠雅彦氏をはじめ存じ上げている方も多く、楽しいひとときでした。田村氏曰く、現地でもやはりアキム・カウフマンは凄い!の呼び声高しとのこと。皆さん是非聴いて下さい。


【関連リンク】
http://koh.main.jp/
http://tengoku.in/main.html
http://satokofujii.com/
[PR]
by kfushiya | 2011-12-22 12:26 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)
c0206731_15271156.jpg

↑名古屋在住のピアノ調律師の方の尽力で実現したコンサート。会場のsalon tesseraはミュージシャンへのリスペクトと暖かみに満ちた雰囲気に。


コンサートの前々日にあったとある会合で食べた生焼けの鶏肉にアタり、2日間胃の調子が悪かったのだが、コンサートの素晴らしさでそれも吹き飛んだ感じだ。迅速なライヴ・ヴィデオの撮影で知られる木野英彦氏にひょんなことからチケットをいただいたおかげで、稀有なライヴが体験できた(木野さん、ありがとうございました)。というか、忘れかけていた器楽の醍醐味、の絶好のショーケースであった。ブラジル人ピアニストのAndre Mehmari(アンドレ・メマーリ)とイタリアはペルージャ在住のクラリネット奏者・Gabrielle Mirabassi(ガブリエッレ・ミラバッシ)によるアコースティック・デュオで、ジャズでもワールドでも現代音楽でもない不思議な世界。ひとこと、「よい音楽」である。聴き手 (小難しい「聴き方論」云々を捏ねている方々は除外) を縛らずに、有無を言わさずに心地よいトランスの世界へと連れていってくれる。全方位的な音楽。例えば彼らの音楽をブラジル・ジャズとかイタリア・ジャズとかいった国別インデックスへ押し込めようとすると、その無意味さを音によって跳ね返される。ミュージシャン同志の信頼関係は、互いの音への感応によって繋がっているわけで、国境とか文化の差異、言語レヴェルをはるかに凌駕した次元であるとおもう。それを聴き手がインターナショナリズムなどという単語で括るのも、それこそドメスティックな感性であろう。メマーリは2度目の来日だというが、ミラバッシは初来日(弟のピアニストのジョヴァンニは何度も来日しているという)。演奏が始まってまず釘づけにされるのが、ミラバッシの独特な身体技法(?)である。ほとんどダンスしているがごとき翻り方で、それにともないクラリネットのベルの部分もかなりの角度で上方へ反り返ったりするのだが、それが全く不自然にならずに自然にキマっているのだから恐れ入る。通常の楽器の構えという固定観念で見れば、まさしく「不適切なフォーム」であること極まりないのであろうが、重要なのは結果と効果であって、あのステージを体験すればすべてが納得できるであろう。ミラバッシについての情報は私は昨晩のステージ以外全く持ちあわせていないが(恥ずかしながら)、彼の豊かな演奏から感じるのが「(他はどうであれ)自分にとって自然であると思えるスタンスを突き詰めてゆけば、表現は自ずと多彩になる」といったある種の原理である。求道的なストイシズムと、その結果のしがらみから自由になったユーモア----蓮の花のような、花果同時の美しさがあると思えるのは勘違いか。とりあえず、「イタリア人らしい演劇的なパフォーマンス」などという、ともすれば被せられ兼ねない安易なレッテルとは一味もふた味も異なったレヴェルの現象である。

一見ミラバッシと対照的なのがメマーリのピアノで、それこそどのジャンルをやらせても応用が利くであろう無駄のない筋肉使いの、正統なフォームである。見事に梃子の原理だけで音が動いてゆく。私はクラシックを含めて相当数のピアニストの演奏を聴いてきたが、メマーリのような音色をもつピアニストは本当に一握りだとおもう。元来ピアノがもつ音域はオーケストレーションにも例えられるが、それほどに広域な音色のレンジを有するピアニストは稀であり、どこかで弾く人のジェンダー的なものが反映されているのだが、メマーリのピアノは両性具有に近い。これだけは天賦の才だ。色彩やニュアンスが多彩ながらも、どこか一点に依拠することのない俊敏さが絶えず漂っている(霧のようなつかみどころのない魅力)。

それぞれに「もっとも自然な状態」を突き詰めたふたりの音が、呼応しあい空気と混ざりあって、得もいわれぬ香気を放つ世界に魅了された。シンプルに感応し合おうという、狡猾な駆け引きとは無縁の世界。音を発していない瞬間でも、相手の音の登場人物として、常に互いの上に乗っかっている。ピアノとクラが音質が一枚岩すれすれになるまでユニゾンで並行したり、タッピングと循環奏法をぎりぎりのピアニッシモで重奏したりと、会場のエコー効果を確かめ、慈しむようなアプローチにも研ぎ澄まされた感性が感じられた。演奏されたのはEGEAから2010年に発売された『Miramari』に収録されたものが中心で、日本の唱歌「ふるさと」などもプログラムにさらりと溶け込ませていた。このデュオの第2作目も構想中というので今から楽しみだ。
[PR]
by kfushiya | 2011-10-22 15:27 | 音楽と日々雑感 | Comments(2)
c0206731_11521964.png

↑風を孕む楽器の運動総体


9月末からクラシックを中心としたコンサートが連続しており、毎日どこかへ出掛けては夜半に戻る日々で、いつ何があったのか覚えていないほど。それ以外でも多忙が重なり、寝しなには本を開くも知らずに爆睡していることが多く、なんだかなあ、歳だわもう、という状態。日本語ばかり書いているので、外国語の勘が全くもって鈍磨しており、せめてフェイスブックぐらいはな、と多国語で書き散らしてはいるけれど。ところで音楽を書く人の国別専門主義(日本の一大特徴)は私は嫌いだが、そのスタンスを取るのならば、当たり前のように現地語ぐらいには熟達していてほしいとおもうが、まあどうでもいいや。

前からSimon Nabatov(サイモン・ナバトフ)のファンだったが、Nils Wogram経由でレヴューを書いたのもあって、フェイスブックでお友達になった。ジャンルに拠らず音楽の天才にはよくあるように、御多分にもれず彼もポリグロットで、チャットは主にポルトガル語を用いている。ロシア人と日本人がポルトガル語を共通語にするのも何か面白い。今回、ニューヨーク・ベースのベーシスト、Pascal Niggenkemper(パスカル・ニッゲンケンパー)名義のトリオ作品がリトアニアのNoBusiness Recordから出た。作品云々の前にまずこのレーベルがとても素敵だ。Danas Mikailionisが代表とプロデューサを務めるが、アルバムは大半がCDとLPの二本立てで制作されている。レーベル名を見ても、儲けを度外視したクオリティ追求の気概を感じる。2009年にはAll About JazzのBest100 Labelにも選出された。

それで、この『Upcoming Hurricaine』は、前出のNiggenkemperを筆頭にSimon Nabatov(p)、Gerald Cleaver(dr)というヴェテランが脇を固めるトリオである。Stuart Broomerによるライナーにもあるように、タイトルにも「風」を感じさせるものが多く、なるほどNiggenkemperのプレイにも羽虫がかさこそと音を立てるごとき木の震えから、ここぞという隙間でのエレクトニクスやアルコの響かせ方など、生のままの楽器の声を、非常に広い音の振幅で堪能できる。三者三様にナチュラルに呼吸しつつ自在に拡張していく様は、さながら葉脈を見ているよう。緊迫すらが自然の帰結として感じられてしまう。やはり個人的にはナバトフのピアノの音質に惹きつけられる。どんな一音のなかにも呼吸があり、この録音では具体的に何のピアノを用いているかは不明だが(家ではモスクワ時代から100年もののベヒシュタインを愛用していると言っていた)、鍵盤が指に吸いつかれていくような一体感、ごく限られたアーティストだけが具現する、自身の楽器化ではない楽器の自身化を成し遂げていて、感応せずにはおれない音の鳴りである。ビリビリと来るが実にしなやかだ。Cleaverのドラムも然り。Niggenkemperのベースは、決して多弁ではないのだが、音数ではなくニュアンスで魅せるもので、効果音的アプローチから本来のリズム隊へと行きつ戻りつするそのツボが、何だかすごくセンスが良い。変拍子の妙云々以上に、オチの付け方が天性というかとても文学的だ。アルバムを通して、ひじょうにタイトな構成力はすでに自明のものとして無色でそこに在り、自由な飛翔感だけが風通しよく漲る。「ピアノトリオ」というともはやジジババの回顧録と化してしまったような先入観がつきまとうが、そうしたものから見事に逸脱していて未来を感じる。考えてみれば他の編成と比較しても、ピアノトリオは歴史的には浅い形態であるはずなのに、なぜに古色蒼然としたイメージがついてしまったのだろうか。この国だけか。

明日からはペーター・ブロッツマン3Days。とても楽しみだ。体調と相談しながら、ぐだぐだと(www)書く時間の確保を模索している。

【関連リンク】
http://nobusinessrecords.com/NBLP40.php
http://www.nabatov.com/
http://www.turbopascale.de/home.html
http://www.geraldcleaver.com
[PR]
by kfushiya | 2011-10-13 12:30 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)