【*2015/06】


by kfushiya
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見事な俯瞰図/「男」のショパン~セルゲイ・エデルマン「ショパン・バラード全曲、他」

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↑にょっきり伸びた白い花(目白台)

今年はショパン・イヤーらしく、オール・ショパン・プログラムのコンサートやらアルバムやらがこれでもか、と隆盛を極めている模様。とくにクラシック・ファンでなくとも、ショパンはメロディアスで叙情的でロマンティックでとっつきやすい。巷に流布している肖像画も、いかにも強い女に恋愛で振り回されそうなナイーヴな優男美男。「ショパン弾き」というと女性をイメージするし、美しい女性が弾くと絵になりすぎる名曲も多い。バラードもバルカローレもワルツも。

そんな「優男・ショパン」のイメージと真逆を行くのが、セルゲイ・エデルマンのショパン作品集である。群を抜いて眺望よく全体が俯瞰された、壮大なスケールの構造美。全体の骨格や基本構造がここまで思い切りよくばっしりと、かつ内部の一音一音が個々の魂を得て千変万化に蠢いているさまが同時に提示されるショパンは、現代では稀有だ。ショパンではないが、かつて小さいころに父親に連れていかれたラザール・ベルマンを聴いたときの衝撃に近い。超絶技巧云々ではなく、スラヴ性としか表現され得ないスケールの大きなドラマ性と独特の翳り。感情過多なのに、どこか突き放して音たちを見つめているような客観性の同居。鍵盤と肉体との間の完全な吸着。打鍵までの躊躇のなさ。。。自然に呼吸し無理なく筋肉を運動させることが、そのままピアノを十全に最大限に鳴らしきることに無理なく直結する。かつて一世を風靡したスタニスラフ・ブーニンの曽祖父、スタニスラフ・ネイガウスらが提唱しつづけたロシアン・ピアニズムの系譜。エデルマンも家族全員がピアニスト、とくに祖父のアレクサンダー・エデルマンはホロヴィッツやリヒテルと同様、フェリックス・ブルーメンフェルトとハインリッヒ・ノイハウスの門下。筋金入りのサラブレッドというわけだ。音だけ聴いていても非常に直裁的な打鍵、指と鍵盤との間に空気は存在しない。フォルテッシモのときなど金属音に近い感すらある。否応なく華やかなのはオクターブ奏法のときなどの強音だが、白眉は同じ奏法で楔のように深く穿たれたピアニシモの美しさである。軽く触れるようにして出されたピアニシモとは質も密度も断然違う、芯のある幽玄。全体にペダル使用の度合いはかなり低い。打鍵すること自体によってのみ、ピアノから最大限度の色彩を引き出そうとし、それが見事に結実している(ペダルを使うときは、いかにも「使ってます」というように大仰に一気に使う。それがまた男性らしくて爽快だ)。

クラシック音楽界も、弾き手と聴き手の双方の見聞というか経験値が広がったのだなあ、と実感した。このような、「スタンダードではない」ショパンが賞賛をもって迎えられるのだから。圧倒的に壮麗なとき、人は言葉を失うのかもしれないけれど。曲目はバラード全四曲に、バルカローレ、幻想曲、幻想ポロネーズ。全篇に渡って、かなり個性的なテンポ設定。ルバートを自由に効かせる。右手で構成の要となる強度を鋭角的に出し、左手にはリズムをはしょり気味に早めたりして表現に波をつける役割を担わせている箇所多数。まことに饒舌な左手の表現力である(「左手は指揮者」と言ったショパンの名言そのままに)。ジャズっぽさが感じられる瞬間もあるが、なるほど、ミシェル・ポルタルとも共演したりしているらしい。幻想曲の解釈もかなり異端。慣れしたしんでいたアルフレッド・コルトーのものと比較すると、重点の置き所が全く正反対で興味深い。通常かなりノン・レガート気味で奏される冒頭の葬送行進曲部分は、すべてを繋げたかのようなレガートのもったりしたスタート。両手オクターブや和音攻めでかなり威風堂々なはずの展開部のあたりも、すかした感じの余力で鳴らしているような印象すら受ける。

とにかく、ギリシャの神殿並に円柱だけですべてを語ってしまう、圧倒的な威風。案外若い50歳だというから恐れいる。録音は音響が群を抜くことで有名な北アルプス文化センター。ハイブリッドなSuper Audio CD仕様。曲目解説は、かつて『ショパン』誌にポーランド便りを連載されていた(20年くらい前になるか・・)下田幸二さん。

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↑セルゲイ・エデルマン。ショパンはバッハとシューマンに続くアルバム第三弾

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by kfushiya | 2010-07-26 10:27 | 音楽と日々雑感 | Comments(0)