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![]() *5月号* 肉体的な疲労がどこまで思考に悪影響を及ぼすのかは不明ですが、考えが浅いほうが幸せなこともあるだろうと楽観的に生きています(利口ぶっててその実アホよりマシですな)。しかしながら、この貧困なボキャブラリーをどうにかしなければ、と思わずにはいられぬほど深い音楽と出会うことが多かった今月。万象を捉えるその感性の鋭さに釘づけとなったJeff Densonの新作。気温が上がってくると求めるわけではないけれど、北欧の涼感をどこかで期待して出会ったSunna Gunlaugsのトリオには、かねてから気になっていたアイスランド・シーンへの興味をかきたてられました(*日本語の人名表記については、ご主人のスコット・マクレモア氏に発音を確認したものです)。ライヴではひさびさのジャズ系レポ、FOOD。クラシック界の名ピアニスト3人の演奏の前に、無力にも散る自分の言の葉のみじめさよ。知覚を広げるためにも、自分にとっては外国語学習がさらに重要なり、と痛感。来月も各方面でピアノが多くなりそうですが・・・。 一覧 *ディスク・レヴュー* *NEW!!!ジェフ・デンソン『Secret World』(5月更新号) *NEW!!!スーナー・グンラウグス『Long Pair Bond』(5月更新号) *アンドレアス・シュミット・トリオ『Hommage a Tristano』/『Pieces for a husky puzzle』(4月更新号) *サラ・セルパ・クインテット『Mobile』(4月更新号) *イヴォ・ペレルマン トリオ『Family Ties』(3月更新号) *ダン・テプファー『バッハ/ゴルトベルク変奏曲~変奏曲』(1月更新号) *2011年この一枚~国内盤/小窓ノ王『Tension』(年末更新号) *2011年この一枚~海外盤/Samuel Blaser Quartet『Consort in Motion』 (年末更新号) *ニルス・ヴォグラム ノスタルジア・トリオ『Strum und Drang』(8/28更新号) *ヨハネス・オクセンバウアー/ハリー・ゾーカル『Bass Player's Delight』(8/14更新号) *アキム・カウフマン『VERIVYR』(7/24更新号) *ジャンニ・ジェッビア&ディエゴ・スピタレッリ『The Melody Book』(7/10更新号) *ニルス・ヴォグラム& サイモン・ナバトフ 『Moods & Modes』 *ニルス・ヴォグラム& Root 70 『Listen to your Woman』 *古谷暢康『シュトゥンデ・ヌル』 *エリオット・シャープ&八木美知依『Reflexions』 *ライヴ/コンサート評* ≪ジャズ/インプロ界隈≫ **NEW!!!FOOD+巻上公一(5月更新号) *ヒグチケイコ+神田晋一郎「夜の音楽~night music」(1月更新号) *2011年このライヴ~local坂本弘道+松田美由紀デュオ(年末更新号) *2011年このライヴ~internationalアンドレ・メマーリ+ガブリエーレ・ミラバッシ デュオ(年末更新号) *mori-shige/秋山徹次/Giovanni di Domenico(9/25更新) *田村夏樹5days *シッツェル・アンドレセン&ホーコン・コルンスタ「北欧幻想」/シッツェル・アンドレセン&八木美知依 *ペーター・ブロッツマン2 Days *エリオット・シャープ「Syndakit」 *坂本弘道ソロ公演 *solo-duo-trio(mori-shige/高岡大祐/ジョヴァンニ・ディ・ドメニコ/ノルベルト・ロボ) *小曽根真Road to Chopin *ステン・サンデル・トリオ スペシャル・セッション ≪クラシック音楽≫ *アレクサンダー・ロマノフスキー ピアノリサイタル(次々号予定) *イェルク・デームス ピアノリサイタル(次々号予定) *シュ・シャオメイ ピアノリサイタル(次々号予定) *NEW!!!イーヴォ・ポゴレリッチ The Legendary Romantics(5月更新号) *NEW!!!伊藤恵~ブラームス、細川俊夫&シューベルト(5月更新号) *NEW!!!高橋アキプレイズ・シューベルト(5月更新号) *東京フィル/山田一樹/小山実稚恵(4月更新号) *東京フィル/広上淳一「黛敏郎四大傑作」(4月更新号) *ジョン・リル ピアノリサイタル(3月更新号) *東京フィル第809回オーチャード定期/小林研一郎(2月更新号) *東京フィル第66回定期/外山雄三(2月更新号) *ロヴロ・ポゴレリッチ ピアノリサイタル(1月更新号) *ゲルハルト・オピッツ シューベルト連続演奏会第3回(1月更新号) 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まず一旦聴いたら耳から離れぬ浸透率抜群のメロディ性。ライナーによれば移ろいゆく自然などへの共感という、インスピレーションの源としては正統すぎるほど正統ではあるのだが、美学的でアブストラクト、といった造りこんだ乖離がない。すっと体に馴染む。2曲だけヴォーカルとスキャットが入るが、この声は一瞬女性ヴォーカルかと思うのだが、ベーシスト本人に拠る。このアンドロジーナス的な声質がアルバム全体に及ぼす効果は大きい。Densonの声の豊かさは楽器がツールとなっても同様。伸びの少ないコントラバスを、チェロのような柔らかで扇情的な表情で豊かにたゆませる。斜めから斬り込んでくるかのチェロ的アプローチが音楽の蛇行感をさらに増幅(トランペットと限りなく近似値の音を出している曲もある)。あとはやはり、変拍子で巧みに切り替わる、音風景の多彩さか。あたかも車窓にいるかのように、動きつづける現実と感情の混淆した漂流を味わえる。 ピアノファンの自分にとっては、Florian Weberのピアノがすこぶる気に入ったのだが、個々のプレーヤーについては後の機会にゆずる。しかし、各人の剛腕をこれだけ際立たせながら、いかなる瞬間もDensonの存在感が薄れることがないのもすごい。版元のレーベルがいかなるカラーであろうとも、ジェフはジェフであり続けるだろう-----柔らかながらもそう確信させる、強靭な音楽だ。 今週はいよいよFOOD+巻上公一公演(横浜)。 ![]() 来月イアン・バラミーとトーマス・ストレーネンによるユニット”FOOD”が来日するので楽しみだ。巻上公一氏のご指名で、名古屋TOKUZO公演のフライヤ紹介文を書かせていただいた。今回の公演ではこのユニットに、巻上公一、ニルス・ペッテル・モルヴァルが参画するが、ほかにも日本のさまざまなミュージシャンが共演するようだ。本当は観光も兼ねて名古屋に行きたいのだが、日程的に許さなそうなので横浜のBankArt公演かな、自分が行くのは。 てなわけで、ECMより出ている最新作の"Quiet Inlet”(2010)を引っぱり出して聴く。計7曲収録されているが、ゲストはクリスチァン・フェネシュとモルヴァルのふたりで、一曲目からほぼ交互に参加する。独特の閑寂の気配が全体を通して支配するのはECMだから当然といいえば当然であるけれど(タイトルからも)、やはり聴くほうにかなりの集中力を課す、というか無言で圧力をかけてくるような凄みがあるのは奏者とクルー両サイドの熟練の賜物だろう。実際、注意力散漫な状態であったり、音質の悪いオーディオ環境で聴いたりすれば、かなり遠くからの不可思議な音群、といった捉えどころのない印象を生みかねない。それくらい空間のおおい音楽であり、だからこそライヴで聴いてこそ素晴らしいと思わせる。しかし、こちらが集中していればいるほど、無限の奥行に捉えられ、濃厚な音の広がりや残存に足もとを掬われる。FOODは、とても自由なユニットで、毎回多様なゲスト・プレーヤーにも開かれている世界なのだろうが、突き抜け感と同時に音が積み重なってゆく考え抜かれた緻密さと計算高さがあり、その矛盾が聴く者の感覚を引きちぎる。人工的であるはずのエレクトロニクスは、ストレーネン、モルヴァル、フェネシュの3人が用いてはいるが、ノイジーな瞬間はあまりなく大人しめ。あくまで肉体によって制御されている感が失われておらず、だからこそリード楽器も映え渡る。フェネシュを聴くのは、実はいつだったかの『Nine Horses』以来なのだけれど、浮き沈みのバランスが相変わらず何ともいえない。いわゆるギターらしい音は終盤以外はあまり感知されないが(7曲目Fathomで溜めていたものが一気に花開く感じがいい)、いかなる形状でも独特のポエジーが絶えず滲みでているという。フォームを超えているのだ。個人的には、ニルス・ペッテル・モルヴァルが入ったときに生まれる、とたんに空間がぐわんと歪んでいきなり大きな距離を跨いだ感覚が生じるところが好きだ(録音技術抜きにしても)。やわらかな息吹だが、一瞬にして遠方までを凍らす怜悧な質感が張り巡らされる。バラミーとモルヴァルのリードによる掛け合いは、中東っぽさを感じさせながらも、どこか臭みが抜け切った牧歌的で瞑想的な境地であり、それは人造的な理想郷みたいなものには違いないのだろうが、そうした行き先不明のノスタルジーこそが音楽の醍醐味でもあるわけで。同じ時期に来日するThe Necksのトニー・バックにしても、現代のすぐれたドラマーというのは本当にいろいろ出来るもんだなあ、とトーマス・ストレーネンの確固としたヴィジョン抽出力にも感服することしきり。 気分はすっかり4月なのだが、まだ3月なんだよなあ。25日は父親の77歳の誕生日を祝うべく(ついでに数日後に控えた数えたくもない自分の37回目の生誕の日をいっしょくたにし)実家へ日帰りするが、このところの体調の悪さを考えると夜行バスは気が重いなあ、やはり。父が健在なことには感謝することしきりだが、自分も歳を食うわけだ、とふと身に沁みる春分の日。
フィレンツェで買いだめしてきたイタリア語本を開くものの、全く持久力がなくなっているのにきづく。ベルリン時代は一晩に一冊読めていたが、もはや10ページも読めば息切れする始末。こんな文章を日本語でぐだぐだと書き連ねているから思考が縦方向に固定されて動かんのだ、いいかげんに止めちまえ、と、この数年ののんべんだらりとした日々に愕然とするばかり。まあ、数人の知人が元気そうなのを知ることができたし(ある人は病気だったりもして悲しかったが)、一週間慌ただしく、かつ半世紀ぶりの大寒波で寒い以上のなにものでもなかったとしても、おっさん方が古本をもって集う妙に落ち着くカフェスペースも発見できたし(映画館に併設されていた風情のあるワインバーが味もそっけもないハードロック・カフェに様変わりしていたのにも愕然)、よい風穴とはなった。昨日はデパートの共通商品券、というのが偶然手に入ったので、現金では絶対いかないようなところへ行こう、とデパート内のレストラン街へ行ったが、デパート食堂というのも自分の子供時代に比べればだいぶこじゃれているなあ、と思ったが、値段と質の不釣り合い大いに疑問。ステーキ丼を注文したがライスと肉の量のあまりのバランスの悪さにいら立つ。心穏やかな連れになだめられるも、食って大久保まで歩けばすぐに空腹を覚えたり。なんじゃ、ありゃあ。もらった金券ですら勿体ないわ。 月初にニューヨークのIvo Perelman(イーヴォ・ぺレルマン)より届いた2枚のアルバムのうち、2011年に出た『The Hour of the Star』をゆっくりと家で聴く。今月に入ってから音楽を聴く気すら失せるほどの疲労の極みで、ゆっくりと音楽に身を浸すのは久しぶり。ぺレルマンはサンパウロ生まれ、フリー・ジャズのサックスプレイヤーとしてだけでなく、ヴィジュアル・アーティストとしても活躍、楽器も複数こなすというマルチな才能ぶりである。ブラジル人女性作家Clarice Lispector(クラリス・リスペクトア)の諸作品に相当な思い入れがあるようで、Leoから出た最新の2作品も彼女の作品のタイトルと重複している。Clarice Lispectorといえば、ポルトガル語で文学なりを多少なりともかじった人であるならば、避けては通れぬ現代作家。作風は、内的独白やら心理描写やらがこみいっており、構造と内容が縦横無尽に絡み合っているも、いきなり核心を突いてくる言葉のぎらつきがあり。廻りくどさと霧の晴れ具合が絶妙のバランスで出現、女性に共感者がおおいような気がしていた。とかいう自分は一冊ぐらいしかまともに読んでいないので、偉そうなことは何も言えないのだけれど。印象にのこっているセンテンスといえば、どこかで「生きるとは、あらゆる理解を凌駕する」というのを読んだことがあって、その一言は奇しくも、今回ペレルマンを聴いたときにもぐさりと想い出されたものだった。ペレルマンはDon Pullenやアイルト&フローラ夫妻を始め、数限りないセッションをおこなってきた大ヴェテランではあるが、このアルバムでもMatthew Shipp(p)、Gerald Cleaver(ds)、Joe Morris(b)という強モノ揃い。アルバム全体を通して、ものすごい緻密さである。音数多く、みっしりと塗り込められている。大体にして、文学作品にのっとって音楽を造ること自体、一歩間違えば書き割りに添ったような生真面目さが全面に出かねないのだろうが、そういった完璧な物語性には当てはまらないもっと奥底からの横溢というか不穏な流動感が絶えず立ち込める。実際にペレルマンによって生きられるクラリスの文字世界は、文学作品というある意味での枠組みがプラスに作用する。奇抜なフリーフォームよりも、ペレルマンの美点でもあるメロディックな面がごくさりげないフレーズの中に立ち現れるときにこそ、陰翳やら年輪やら豊かな原作のテクスチュアやらがふわっと立ち昇る。アルバムというものが第1曲目が勝負だ、というのも基本といえば基本だが、冒頭の”A Tearful Tale”にこのクァルテットの美質がぎっしりと詰まっている。Gerald Cleaverのドラマーとしてのセンスにはいつも驚愕するが、今回も爆音はほとんど感知されないにも関わらず、ぴたりとバンドサウンド全体の外堀を緻密に埋めてゆくなかを、Matt Shippのピアノはその台風の目のごとき静謐なるコアをピンポイントで突く、というか非常に覚醒した打鍵を落とし込んでゆく。骨の芯にびりびり来る音である(強音ではない)。続く”Blowing the Blues”が個人的には一番好きだが、ここではドラムも入るもののベースとサックスの寛いだインタープレイがとてもいい。弱音の低音、その香気。密度が濃いゆえ、2曲聴いただけで充足感がある。深い物語性と形式とが翻っては浸食されあう、決して軽くもないし派手ともいえない世界だが、じっくりと満たされるものがある。最新作もクラリス作品と同様のタイトル『Family Ties』(原題;Laços de Família)が採られている。いずれ別口でレヴューできればと思ってはいるが。 ![]()
公開中の映画を2本みる。「ミラノ、愛に生きる」(Io sono l’amore)@文化村。制作にもかならず関わる主演のティルダ・スゥイントンがかっこいいので行ってみた、というのとミラノの雰囲気が味わいたくなったため。愛云々はどうでもよし。ミラノはいつもそそくさと立ち寄るばかりで、ロクに詳しくないのだがなんとなく冷たげで重厚な空気が立ち込めているのが好きである。とくにミラノ中央駅。あれほどの壮麗な規模の石造り駅舎なんて他にないだろう。せわしなく人が行きかうなか、たいして美味くもない駅内カフェで一服していると、何とも旅情がわいてくる。寒い日の早朝なんかとくに。てなわけで期待して観はじめると、白と灰色のみの雪景色がなんともいい感じ。ストーリーは、ロシアからミラノのブルジョア家庭へ嫁入りしたマダムが、息子の親友である天才シェフと恋に落ち、さまざまなしがらみを捨てて真実の愛に目覚めてゆく、という。ストーリーは極めてシンプルだが、やはりブルジョア家庭の調度品とか、女中頭が第二のマンマのように当たり前に鎮座する富裕層の日常生活、一族の女たちが身につけるゴージャスなジュエリー類やファッション、などに気をそそられる。身のこなしに堆積する歴史の重み、というやつか。真実の恋を知るにつれて、ティルダ・スウィントン演じるエンマの服装もカラフルで明るくなってゆくが、さすがイタリアだよな(フィクションであることは重々承知で)、親友の母親を恋愛対象とするだけならまだしも、不倫でも遊びでもない相手として奪う奴なんて。料理人というのがまた生々しい。最愛の息子を不慮の事故で亡くし、その息子の親友との生活へ飛び込むときのエンマの服装がいきなりスウェット姿になり着の身着のまま恋人と山間での半野生生活に入るくだりには少々興ざめ。なんだかんだ言って上流夫人として長年スポイルされてきたのだ、そのうちスノッブな生活が恋しくなるときが確実に訪れるだろう、と女だからこそ思わずにはいられないのだ。娘っこならばともかく、中年にもなったらそれ相応の現実がついてまわろうに。アホよのう。 つづいて、タチアナ・ド・ロネ原作で読んで感銘を受けていたジル・パケ=ブレネールの「サラの鍵」@新宿武蔵野館。ナチ統治下のヴィシー政府がどさくさにまぎれて行った蛮行、1942年のヴェルディヴ事件。パリ中のユダヤ人が一斉検挙され、冬季競輪場ヴェルディヴに数日間詰め込まれたあと、強制収容所で虐殺された。この事実は1995年、当時の大統領シラクによって初めて国家の犯罪と認められた。思わず弟を自室の納戸に隠したまま検挙された少女・サラが、その納戸の鍵を握りしめ、命を賭して脱走し弟を助け出そうとする。そして悲劇的な再会のあとの、罪悪感に満ちた彼女の人生。そこに現在のパリでこの事件を追うアメリカ人ジャーナリスト・ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)の生きざまが、もうひとつの軸としてシンクロしてゆく。収容所のシーンよりもなによりも、最も脳裏に刻みつけられ、いたたまれない気分にさせられるのが、人々が連行されたヴェルディヴのシーンだ。数万の人が一気に押し寄せたためトイレもなく、公衆の面前で排泄する人々。とくに年配の人たちの姿が痛々しい。尊厳の蹂躙が一番残酷にうつる。直接的な暴力シーンよりよほど怖しい。のちに脱走してきたサラを匿う老夫婦の姿がせめてもの救いで、「心配しなくていいのよ」の老女のひとことに心洗われるが、これほどの女性らしさの権化がほかにあるだろうかと思ったり(映画中もっとも魅力的な女優だった)。人間の善意と悪意の振幅の激しさにくらくら。帰宅後に原作を再読、なかなか立ち直れず。昔、ドイツで強制収容所を見学したあともしばらくこんな感じだった。 ************* ************* さて、先週はヒグチケイコと神田晋一郎によるデュオ「夜の音楽」を聴きに喫茶茶会記へ。ヒグチケイコとは随分親しんでいるつもりでいたが、実は演奏そのものは数回しか聴いたことがなかったという。しかも言葉を大切にした歌ものを聴いたのは初めてだったが、たいそう素晴らしかった(ライヴ・レポは次号のJAZZTOKYOに書きました)。こう言うと陳腐に聴こえかねないが、その魅力には筋が通っている。紛う方なき説得力、といったほうが良いのかもしれないが。奇抜だが、たとえば日本でしか通用しないようななんとか系、とかいう特殊な価値観を要しない。大人だ。良い意味でライヴと音源の質が変わらない。音源だけで聴いても、ヒグチケイコの所作を含めたもろもろの動きはよく「見える」。で、この日と同プロジェクトである『種子の破片』(ビショップレコード)を聴いてみると、濃厚なる情緒がとてもコントロールされた精巧なヴォイスで実現されているのに改めて驚く。よく言われるような、既存の歌のヴェールを剥ぎえぐって挑発する、といった赤裸々さは実は少ないのではないか。「あくまで私が歌から受け取り、かみ砕いた世界だけれど」という前置きつきの没入というか、思慮深さが見え隠れする。考えてみれば赤裸々ほど押しつけがましいものはないし、そんな一方通行な開示をおこなうほどヒグチケイコは野暮ではないだろう。聴き手が自由に行き来し、想像できる隙間を、彼女はいつも用意しているように思える(だからこそ妄想をも寄せつけるが)。それが音質のクールさ、ときとして少々投げやりな魅力を放つ音とエアとの関係にあらわれているし、距離感こそが成熟した情緒なのだ。神田晋一郎のピアノを聴いてなぜか想い出したのが、ジェローム・カーンをひくアル・ヘイグである。酷薄さをも含む甘美でうつくしい音色、乱れがない。ヴォイスが無音空間をも大きく取り込んでいるのと対照的に、具体的に音をきざんだり、残響をたちこめさせたり。メロディアスで憧憬に満ちた音楽を紡ぐが、全開にしないところがやはり効果を増している。何より音色がとてもよく、音の腰がすわりその芯に鋭敏さがある。アルバムの第一音から、ピアニストとしての充実した基礎体力と筋の良さが伺えた。またライヴで聴いてみたい。なお、次回の「夜の音楽」は3月19日、上尾のバーバー富士にておこなわれる模様。 ![]()
楽天のポイントが貯まったので、文庫本2冊をそれで落とす。石井好子の「女ひとりの巴里暮らし」(河出文庫)。1950年代のパリ、しかもカバレットの舞台裏が描かれているのでなかなかに面白くて一気読み。アルティスタはもちろん、マヌカン、ダンサー、女給、と女の世界を中心とした濃い人間模様。読んでむせ返るのはやはりヨーロッパの裏町とキツイ香水の香りと、路地に沁み込んだ臭いか。ま、西洋人は垢を落とす習慣がないこともあるけれど、ビデで蛇口を捻り熱湯にタオルをひたし、香水を数滴たらしたので身体を拭けば気分爽快!という程度の、日本でなら女としてあるまじき清潔観念に身に覚えがないわけでもあらず。香水代は多少奮発するが。それにしても、昔に留学なんてしてた人は例外なく金持ちだろうが、その分日本での境遇と渡航先でのそれとのコントラスト甚大、でその相克自体もはや芸術的だよなあ、とすら思えてくる。須賀敦子を読んだときもおもったけれど。続いて岡本敏子の「奇跡」(集英社文庫)。岡本太郎ほどの天才の傍らで生きてゆくには、ヘタなプライドとかコンプレックスとか自意識の塊とかは木端微塵に砕け散る、というわけで、なぜに岡本太郎が敏子にほれ込んだかは、人間を場合によっては苦しめるそういう類の要素が皆無だったのだな、と読むとよくわかる。災難であろうと何でも起こったことを受け入れて、人を恨むという感情と無縁で生きている。太郎をモデルにした男性建築家も素晴らしくいい男だが、この女性主人公が半端ないきわどさだ。居るのかこういう人(結果、周囲の男全員と軋轢なく関係をむすんでいるという。岡本太郎の「女は結婚したらすべての男の妻となる」というかの迷(名)言の実行にすぎないのかもしれんけど)?日本的な耐える女の美徳というわけでもなく、唾棄すべき「受け身」というのでもなく、ただはじめから「ぽうっとして」飛ばしているという。自分のような凡人には予測つかぬわ。 さておいて、一昨年に来日した折に本人よりいただいたものの、じっくり聴かぬまま時間が過ぎていたPaed Conca(electric bass;cl;electronics)とRaed Yassin(db;tapes;electronics)のユニット"Praed"のアルバム『The Muesuli Man』を聴く。パド・コンカを初めて生で聴いたのは2009年の初夏で、mori-shigeやヒグチケイコとのセッション、同じくスイスのHans Koch、ベルリンのMichael Thieke(ミヒャエル・ティーケ)とのクラリネットトリオ+映像の"porta chiusa"だった。とくに後者はスイスにおける移民の強制国外退去を扱った映像を主体とし、そこにクラリネット3者による音楽を付けてゆく趣向だったが、クラリネット特有の真空のような音がうまく映像のやるせない内容と呼応して、「やり場のなさ」一点に観客の意識を動員させるという点で大きなうねりをつくりあげていた。取り立てて内容が斬新だとか前衛というわけではないが、小回りの効く3人のプレイが理屈なしに巧いなあ、と思わせるもので、瞬間瞬間の満足度が異様に高い。で、この「praed」も、ユニット名からしてふたりの名の融合だけれど、音楽そのものもまさに溶け合ったり拡散する個々のコネクトの瞬間に思わず聴き惚れる。奏法上のオーソドックスと変化球、生音とエレクトロニクスはもとより、種々のプリペアドによる弦のノイズ、昭和歌謡と中東世界、日本語・イタリア語・アラビア語のリレー(アジア・西欧・中東)、ノスタルジーと暴力、B級映画と過酷な現実、etc...正反対ともいえる雑多なものが林立しては溶けてゆく世界。カットアップの連続でめまぐるしいが、音楽の端々に研ぎ澄まされた集中力と高次元の楽器への練達が脈打っているのが、後味が意外にすっきりとしたものになっている秘訣か。音は激しくもなめらかに感知されるし、やはり映像作品に触れているような視覚喚起力がある。多分今年来日するとか言っていたが、また生で聴いてみたいものだ。 疲労が増してきたのであまりぐだぐだと個人的な印象を書きつけるのはやめよう。今日はチャノ・ドミンゲスのライヴを聴けなくて残念だった。 ![]() ![]() アンソニー・ドーアの『メモリー・ウォール』という小説をたまたま読んでいるのですが、それと軌を一にしたわけでもあるまいに、連続して物を落としたり紛失したり(しかも大事な想い出の品ばかり)、自分の記憶や行動が全く信用できなくなる日々を送っていましたが、昨夜は気をとりなおして『三人のピアニスト』というライヴを鑑賞。場所は、普段クラシックのサロンコンサートがおこなわれているという赤坂のカーザ・クラシカ。やたらとイタリア料理屋が多い一ツ木通りを直進していくと、雑居ビルの地下にひっそりとあるお店。店内が狭いこともあり、設置ピアノはヤマハのC2と小柄だったものの、猛烈な迫力の音響でした。以下、少々感想を。 この企画は航に拠るもので、彼女に近しいピアニストである本間太郎、そしてベルリンから一時帰国したばかりの藤井郷子、という剛腕ピアニストによるそれぞれのソロ三連発。各セットはほぼ45分づつといったところ。 トップバッターは航。航のピアノでいつも思うのは鍵盤の表面の手触りが顕著に聴き手にまで伝わってくることで、一音一音がマルカート的に印象に刻みつけられる。思えば、ライヴで聴くときはいつもデュオ編成でエレピだったので、生ピアノでしかもソロはこれが初めてか。パーカッションが入っていなくとも、打鍵のヴァリエーションで僅かな隙間もコントロールされてゆく、その推移が実に鮮やか。それは例えば、同形反復のときにリズムと色彩がブレンドされて唐突な窪みが現れたり(2曲目「火の粉」)、鉛のような強靭さで打ち降ろされる第一音からひと筆書きに余力で描かれるパッセージ(3曲目「蜘蛛と蝶」)の浮遊感など、絵画に喩えれば水性アクリル画のようなライトさと見通しの良さがある。曲順もよく、声とピアノの音質を合わせた静かなチューンから、演劇的なパースペクティヴの「ペテン師△♯18」、ブルージーな低音の「山頭火」と、メリハリが効いている。最初と最後のチューンを日本的な景色を彷彿とさせる曲調のものでまとめていたのも、メビウスの輪ならぬ潮の満ち引きのようで物語性豊か。 セカンドセットは本間太郎。「天国」というバンドで活躍しているが、植村昌弘「MUMU」のキーボーディストでもある。「天国」は一度聴いたことがあるが、そのときは出演バンドが異様に多かったこともありあまり記憶に残っていなかった。が、今回聴いて凄いピアニストであると実感。まずその正確無比な打鍵。音の絞り。スピード感。と来れば、誰かを聴いたときの感慨に近い------そう、植村昌弘のドラムに近い境地をピアノで実現している人だなあと(ピアノも究極打楽器ですが)。このピアニスト自身がもつ音色がとても豊かで深く伸びがあるため、ペダルはほとんど不要ではないかと思われる。地声ならぬ地音(?)が幾次元にも渡る音の広がりをもっているため、本人は意識してなのか無意識なのか常に複数の効果が上がっている。聴くほうも飽きがこない。流麗なアルペジオの波のなかにハッとするような金属質が紛れ込んだり、楽器の原理を抱き込んだ、ピアニスト自身のテクニックと楽器との歯車の良さに終始魅せられた。とりわけこの人の左手はゴッドハンドといえるほどの能力。最後に弾いたジョルジュ・シフラ風「火祭りの踊り」では一気に余韻やぺダリングの妙を凝らした演出で、エレピと見紛うようなビリビリ音を叩き出す瞬間もあった。 そしてトリは藤井郷子。いつもながらの強靭な音宇宙で、女性的とも男性的ともいえない凛としたたたずまいがある。ポリフォニックな音は「ピアノはオーケストラにも喩えられる」などという使い古された表現を引き合いに出すべくもなく。ユニゾンですら丸みを帯びた柔軟性に富み、不協和音的な箇所も緊迫や威圧感としては感じられない。自然の帰結たる盛り上がりなれど、予定不調和な立体をなす音楽こそ藤井郷子の凄いところか。プリペアドを使った一曲では、鈍い青銅の鐘の音からガムランまでを感じさせる、各部が自由に歩行しつつも不思議な対話を繰り広げるものだった。 終演後に田村夏樹氏からベルリンの話を伺ったり、客席も悠雅彦氏をはじめ存じ上げている方も多く、楽しいひとときでした。田村氏曰く、現地でもやはりアキム・カウフマンは凄い!の呼び声高しとのこと。皆さん是非聴いて下さい。 【関連リンク】 http://koh.main.jp/ http://tengoku.in/main.html http://satokofujii.com/
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